僕の協力隊、志望動機。

なぜ、協力隊になろうと思ったのか?

僕の原点について、お話しさせていただきます。

 

 

●きっかけは小学生のときに読んだ本

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僕は小学生の時に国際協力に興味を持ってしまいました。
卒業文章が嫌に浮いていたのが印象的でした(苦笑)
きっかけは、学研の本で、飢餓とか難民問題とか環境問題とか、色んなことが書かれてあって、
子ども心の「なんとかしなくちゃ!」と感じてました。

 

ですが、その思いもどこにやら、大学受験の時までは、
特にそういった活動に取り組むことなく、楽しく(もちろん精一杯に)学生生活をエンジョイしました。

そして、大学受験で
「国際協力に関われる仕事につながる学科に」と思って、
落ちて浪人して、落ち着いたのが某外語大学の国際関係学科だったわけです。

当時、国際協力って国際公務員かNGOくらいしかないと思っていた僕にとって、
NGOができることは小さすぎるってことで、国連職員を目指そうとか思っていました。

でも、いくら本を読んでも、

ODAや国連の悪口くらいしか書いていないし、
結局、国際協力って何ができるんだろう?
仮に、国連職員の仕事がいいものだとしても、僕には門が狭すぎるし・・・。
そして、たどり着いたのが「ジャーナリストになろう」という答えでした。

 

●伝えることを目指して。

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一人が動くよりも皆で動いた方がいい。
だから、世界の状況を書いて伝えることが、僕ができる国際協力だ、と思ったのです。

大学三年生くらいからは、新聞記者になるために色々と準備してきて、留学後に就職活動をしましたが、結局内定はとれず。
それも、最初の方は東京へ面接に行く位に良い感じで(ま、結局落ちてるのには変わりないけど)
でも、徐々に筆記試験以外は通らなくなっていきました。

そしてある時、僕の思いを伝えたときに「それは違うんじゃないか」と面接官に言われました。

 

●初めて、自分の眼の前で見た「貧困」

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それから、色んなことを考えて、自分の道を再度考え直すことにしました。

ジャーナリストは諦めて、経済活動を通して、現地の人たちと生きる。
たとえば、工場を作れば雇用が生まれる。
これは立派な国際協力じゃないか、と。

そして、留学時に英語も学んでいるので、それも活かせる商社に入ることに決めました。
ですが、ここで考えていたことは、大きく変化していきます。

卒論を書き終え、卒業を迎える前に旅行の計画を立てていた所、
夏には中東を旅したので、次は南米に行こうかとも思っていたのですが、
就職後は日本で活動するだろうってことで、
南米に友達を作るより、日本のNGOが企画するスタディツアーに参加して、

日本で一緒に活動する仲間と出会おうと思い、
ACCEという京都のNGOのスタディツアーに参加しました。

(そこに決めたのは、手頃な値段と本拠地が関西圏にあることでした)
大学で学んできた『貧困』と初めて直に接する機会を得たわけですが、
ショックの連続でした。
と、言うのもこの人たちを前にして、

自分がどんな顔をすれば良いのか、どんな風に接すればいいのか。 
それすらわからない状況に陥ったからです。

日が経つにつれて、「貧しい人」という見方から、そこに住む一人ひとりの人たちなんだという意識が芽生えてきそうな、そんなくらいでツアーは終了。
色々と考えさせられました。

僕が大学で学んできたことは何なのだろうか、と。

そして、そこのNGOのプロジェクトによって、生活ができるようになり、自分たちの力に気付いて行動しようとする人たちが居て、
「NGOって小さすぎるって思っていたけれど、 
 たった10人、たった1人の生き方をいい方向に変えることができるのなら、それは十分すごいことじゃないか。」 
ということに気付きました。

 

国連とか、JICAとか、そういう大きなものにこだわらずに、
今、目の前に居る友人たちと、もっと幸せになる方法を考え、行動する。
それって、十分すごいことなんだ。

 

フィリピンで僕が体験したことは、僕にとても好い影響を与えてくれました。
そんなスタディツアーが終了し、僕は商社に就職をしました。

 

●会社員をしながらできること

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就職後も、余暇でボランティア活動はしようと思いました。

フィリピンに行ったときにお世話になったNGOアクセスは、
京都にあって遠いので、どうしようかと思っていたところ、
たまたまイベントで梅田にあるアジアボランティアセンターに行きました。

んで、その中にある「モノプロ」というフェアトレードのボランティアチームに入れてもらい、
仕事の後や土日を使って会議やイベントに参加し続けました。

そこでは、合宿の企画をしていく中で、参加者の前に立って、
「なぜ国際協力をする必要があるのか」
「日本での自分たちの生活と途上国との関わり」
といったことを話す機会ももらったりして、積極的に関わりました。

ですが、そうやって話したり、学んだりしていく中で、
自分の仕事との考え方の乖離が激しくなっていきます。
「世界のために何かしたい」 

小学校からの夢はどこに行ったんだろう。
会社が言う常識的な考え方に染まっていくこともできたかもしれない。
でも、それをしたら、僕が僕でなくなる。

ただ、3年間はきちんと仕事の経験を積みたい、と思いながら、
(国際協力のプロも、「最低3年」と助言して下さったので)
なんとか持ちこたえていました。

(この頃までには、開発コンサルなど、国際協力にも色んな職があることをなんとか知ることができたのです)

しかし、会社で中国に出張に行って、続けるのは無理だな、と確信しました。

・月収8000円で働く学生くらいの年齢の女性たち
・一晩10000円で女性を買う上司たち
・「お得意先と出張したら、必ず一緒に『お持ち帰り』すること。これが営業だ」と言った先輩(すごく話の合う大好きな先輩)

 

あ、これは違う。

 

 

そんな風に感じました。
更に、中国や東南アジアで発注する仕事は、コアではない部品に過ぎません。
たしかに雇用は一時的に生まれるかもしれませんが、
そこより安く作れる場所があれば、そこはすぐに切られます。
コアは作れないので、技術も移転できず、自分の国の会社も興せません。
これでは、日本の会社に、あまりに依存した経営しかできない。
この仕事を続ける限り、そういう社会構造を支えることになると思うと、著しくモチベーションがゼロに近付きました。

 

●そして、協力隊へ

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そんな中で協力隊の試験を受けました。

実は、その前年の冬にも「受けたら?」と誘われていたのですが、
今の僕が行っても何かできるとは思えず、
また、仕事経験をもう少し積んでおきたいと思ったので控えていたのです。

でも、この頃には、自主的に色んな企画を立ち上げたり、色んな勉強もしてきて、今なら受かるかもしれない、という気持ちが生まれ、
そして、「帰っても20代」というタイミングの方が良いと、友人に忠告を受け、
色んな声、タイミング、行くことと去ることの心の準備ができて挑んだ試験でした。
そうこうしているうちに、一方で、
フィリピン支援のNGOアクセスで「スモーキーマウンテン」で滞在をするという話が出て来ました。

僕が「何もできなかった」とショックを受けた彼の地へ、もう一度行ける、ということで、居ても立ってもいられなくなり、会社を辞める時期を、8月の頭に決めました。
2ヶ月前くらいに、退職願を提出し、「8月末まで」という上司に頭を下げて8月頭に退社しました。

その数日後にはフィリピンに飛びます。

しかし、まだこの時には、協力隊の合否は分かっていませんでした。
落ちたら落ちたで、日本で修行を積んで、2年後に再挑戦だ、と考えていましたが、
幸い、フィリピン滞在中に合格通知が届いたと親から連絡がありました。

フィリピン滞在中に更なる学びを経て、9月末に帰国し、現在に至ります。

協力隊は2年間。
どんなことを学べるのか、実行できるのか、
正直全然分かりません。

ですが、今、僕が関わりたいと思っているのは、
「プライマリーヘルスケア」という分野で、
「衛生と健康」を切り口にして、住民のエンパワメントのきっかけをつくり、貧困解決につなげていく、というもの。

帰国後は、そういう分野の知識を高めて、現場で活かせるようになりたいと考えています。

そんな未来につながる活動を、この2年間でできれば、という個人的な思い、
そして、本当に現地の人を幸せにつながるような活動をしていきたいという思いを胸に活動をしていこうと思います。
(気負い過ぎないように、と戒めつつ…)

長々となってしまいましたが、以上が僕の志望動機です。

 

 

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青年海外協力隊として活動していたのは、2008年3月から2010年3月でした。

これは、協力隊に合格し、訓練が終わった頃に、僕がブログに書いた「協力隊の志望動機の反芻」というブログの記事です。

 

書き方も慣れていませんし、読みにくいかもしれませんが、僕の原点。

協力隊を経て、どんな気持ちの変化があったのか、また書いていきます。

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