朝の満員電車、無理にでも入る人たちを見て、
「きっと僕が日本を知らない外国人旅行者なら、
写真や動画を撮って、地元の友達にSNSを通して見せたり、
『日本ってこういう国だよ』と伝えたりしたんじゃないかなあ」
と、ふと思った。
でも、
「日本中どこでもあること」ではないし、
「それが日本である」と伝えられるのも、ちょっと違和感がある。
僕が、海外で見聞きしたこと、体験したことも、
こんな風に伝えたりしていないかな、とも思う。
平和な頃のシリアにいたとき、
すごく年代物の車が現役でバスとして走っていて、
それがあまりに格好よくて写真に撮った。
僕の撮った写真を見て、塾を経営するシリア人の友達が
「こんな写真を撮ったら、シリアが途上国みたいじゃないか」
と嘆いた。
「キレイなビルとか新しい車とか、もっとそういうのを撮ってくれよ」
と。

人は、「違い」に目がいく。
「いつもと同じ」は目に入らない。
実際には行かないで「誰かに伝えられる世界」だけを見ていると、
肝心なものが目に入らない世界を「現実」としてとらえるかもしれない。
だから、僕はシリアで起こった危機を、
自分の目で見る旅に出た。
そこには、ジャーナリストの目に写っていなかった「世界」が、確かにあった。
でも、きっと、それもまた、
何かを見逃した「一つの世界のカケラ」なのだ。