夜の街中で少年が声をかけてきた。
トルコ語だ。
町の5人に1人がシリア難民のトルコの街で
僕がいたのは、トルコ南部の町ガズィアンティップ。
シリア国境まで1時間ほどの町だ。
町の中にそびえるのがカズィアンティップ城。
旧市街の近くにある城塞とスーク。なんとなくシリアの街アレッポと似ている雰囲気がある。
カズィアンティップという街の名前も、元々【アンティップ】という街の名前だったところに、勇敢に戦ったことを讃えて、「軍人」を意味する【カズィ】を冠したのだそうだ。
この町に、シリアの戦禍から逃れてきたシリア難民がたくさん押し寄せてきており、
「300万の人口の町に100万人のシリア難民が住んでいる」と言うシリア難民支援をしているクルド人の青年もいた。
ある記事によると、「ガズィアンテップの町の人口のうち、22%はシリア人」だそうだ。
僕はこの町でシリア難民を支援をしている団体の人やシリア難民の人たちから話を聞くことができた。
歩いていると、「あの店は、シリア人がやっているんだよ」ということを教えてもらうことがあったり、
レストランに入って、トルコ語が話せなくてマゴマゴしていると、「アラビア語は?」と聞かれて、話すとシリア難民の人がトルコ人の店で、ウェイターとして働いていて、アラビア語で注文したりもできた。
それほど、シリア難民とトルコの人たち(土地柄、クルド人も多く住んでいる)が混ざり合っている街だ。
物乞いする少年との出逢い
そんな街を夜、トルコで難民支援のボランティアをしているドイツの人と歩いていた。
ガズィアンティップ城のすぐ近くで、少年からトルコ語で話しかけられた。
トルコ語がわからないので、ドイツ人のボランティアさんに尋ねた。
「お菓子を売ってるのよ。
でも私はあまりトルコ語が分からないから」
と言うので、アラビア語で僕が話しかけてみた。
シリア人の少年だった。
「僕はアレッポから来たんだ。父さんと上の兄さんはまだシリアにいる。
お母さんと七人で暮らしてる。
学校?行ってないよ。稼がないと。
家賃が350リラ(約120ドル)するんだ。よくない家だけど、高い。」
「それ、いくら?」
手にしたお菓子の値段を尋ねると、1リラだという。40円ほどだ。
実際の値段より高めで、正確には「物乞い」ではないが、物を介することでお金が渡しやすくなる。
僕は、2リラを渡す。
お菓子はもらわなかった。
ボランティアは言う。
「仕事を見つけられたり、学生にとってはトルコは比較的住みやすいと思う。
けど、あんな風に父親のいない母子家庭の状態で暮らすのはすごく難しいの」
昔のシリアを知っていれば、信じられない
かつて、ほぼ全ての子どもが読み書きできたシリア。
中東で唯一と言って良いほど、輸出できるほど豊かな農作物にあふれ、飢えることのなかったシリア。
国内の仕事は決して多くなく、出稼ぎの人は多かったが、数ヶ月ごとに家族と過ごす時間のために帰ってくるのが普通で、家族と共に過ごす時間を何よりも大切にしていたシリア。
かつてなかった事態が、今ここにある。
命をかけて密航するのは、死を恐れていないのではない。
このまま、何もしなければ空腹で死ぬかもしれない。
その状況の中で、天秤にかけて判断していることなのだ。
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