ジャーナリストが伝えない。映画「それでも僕は帰る」からは見えないシリア




 

「それでも僕は帰る」上映会にお越しいただいた皆様、ありがとうございました。

 

「映画の中には写っていない、シリアを伝えたい。」

 

上映会のトークゲストの依頼があったときに、
僕が最初に考えたことでした。

 

フリージャーナリストを含め、
シリアを伝えているメディアの多くに欠けているものがあります。

 

それは「シリアの日常」です。
戦場の、ではありません。

 

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朝起きて、朝ご飯を食べて、学校や職場に行って、家族と一緒に昼ご飯を食べて、
近所の人たちと談笑しながら過ごし、晩ご飯を食べ、夕涼みがてらにお茶を飲む。

 

それが「ニュース番組」で出てくることはありません。
ほぼ全てのニュースは、「変化」を写すものです。

 

そういう意味では、シリアは「変化」が起こっていますが、
「こうした騒乱が起こりうることを予測して」ない限り、
かつての平和な状況を映している映像はなかなかありません。
(一般家庭ではなく、ジャーナリストやマスコミ関係者の手元には)

 

 

「2011年」という転機

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それが僕がシリアにいた時期は、2006年の8月と、2008年から2010年の3月まで。

 

「アラブの春」と呼ばれる反政府運動が起こり始めたのが2011年1月、
大規模になり始めたのが同年3月と言われています。

 

今回の「それでも僕は帰る」の配給を日本で始めるきっかけになったアーヤさんという日本人女性がいて、
クラウドファンディングで資金を集めました
彼女は、2011年3月にシリアでアラビア語を学んでいました。

 

そして、平和で、人々が本当に心のあったかい、素敵な人たちであったこと、
そんなシリアで「何か」が起こっていること。
そうした「想い」から、この映画を日本に持ってこようとしたのです。

 

上映会を終えたあと、皆で意見や感想、疑問などが出てきて、白熱した討論になりました。
特に、僕の友人で、東京在住のシリア人がいたので、非常に興味深いものだったと思います。

 

 

平和を遠ざける映画?

 

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その議論の中で、ある参加者が言った感想のなかに、このようなものがありました。

「この映画が広まることで、かえってシリアが誤解して伝わり、
 平和を遠ざけることに加担するかもしれない
という可能性もあるということですか?」

 

 

この映画は、一人のユース代表になるようなシリア人サッカー選手が、民主化運動に関わり、
平和的だった民主化運動がやがて、「自分たちの街を守るために」武器を手に取っていく、というストーリーです。

 

反政府デモ、流血、死体、命がけの救護。日本のニュースが過激さゆえに流さない「現実」を突きつけられます。

 

そして、多くの観客が描く感想は「打倒アサド政権」となると思います。

 

この映画日本に持ち込んだアーヤさんは、そうした政治的な主張があるわけではなく、
事実、シリアにいた時には「親アサド」のデモがあるほどでした。

 

(実際、「アラブの春」の時期は、シリア国内だけでなく、
国外でもアサド政権支持のデモは行なわれています)

「アサド政権が、市民に対して良いか悪いか、というのは分からない」

アーヤさんもたった1ヶ月、僕もたった2年しか、シリアに住んでいない、外国人。
シリアの人たちが、アサド政権に抱く想いを、心の奥までは分かりません。

 

ただ、今回の映画を見た、一人のシリア人の視点では、このような疑問がある、と言います。

 

・どうして彼らは「運動の最初から」「このような映像を取れるだけの機械を使って」記録していたのだろう?

・彼らはどこから武器やお金を調達したのだろう?どうして、市民のはずの彼らが、訓練された兵士と互角以上に戦えるのだろう?

 

 

2011年以前のシリアを知る重要性

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シリア人の彼は言います。
「我々がまず知るべきなのは、2011年以前のシリアだ」と。

 

・大学まで無料。小学校の間は筆記用具が無料で配布されていた。
・医療が無料。
・自給率100%の農産業と石油。非常に安価な食生活。野菜やコメが、1kg = 数十円。
・アサド大統領は、ガードマンをつけずに街中を歩いていて買い物や食事をしていた。

 

そんな状況があって、果たして「たった数ヶ月で心変わりをするものだろうか?」と。

 

彼同様に、僕もそれを伝えたくて、シリアを伝えるための活動をしています。
「アサド政権の擁護」ではなく、いかに「豊かな暮らし」をしていたのか、ということを、です。

 

 

僕が伝えている話は、

 

・「貧困層」の暮らしが、田舎の場合で3LDK庭つき、居候つき(※いつ行ってもご飯をご馳走してくれて、泊めてくれますが、お金は受けとってもらえませんでした)
・どんな小さな村にも学校があり、字の読み書きできない女性がいれば、政府の補助で識字教室が開校できる。
・バスで隣に座ったおっちゃんが、いつの間にか僕のバス代を払ってくれている。
・手帳を届けてくれて、手帳に挟んでいたお金(シリア人の給料半月分に相当)に気付いた上で返してくれる。
・宿に置き忘れた腕時計を、その場にいたシリア人に託し、4時間離れた街まで移動した僕の宿まで届けてくれる。

 

…といった実際に体験したエピソードです。

 

 

ただ今回、僕がシリア難民を訪れた際に出会ったシリア人から、これとは逆の政権批判の意見も聞いています。

 

・家族が刑務所に入れられて音沙汰がない。あるいは、死亡通知が届いた。
・政府軍によって撃たれた。家族が殺された。
・政権の一族が国民に分配すべき利益を独占している。

 

と言ったことです。

 

(シリアのために活動している日本人の中にも、そうした意見を前面に出す人もいます。
それは身近な人が実際に、昔、罪もないのに刑務所に入れられた過去があるからかもしれません。
また、「シリア政権が罪なき市民を殺していない」とは僕も思いません)

 

そう思うと、2011年を境に、まるですべてが変わってしまったかのように思います。

 

その「変化」に関心を持つかどうかで、この映画の見方は変わります。

 

 

映画の感想を180度変える「知識」

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映画だけを見た人たちは、
「これほどの不満があったんだから、シリア政権は絶対悪だ」
と感じます。

 

しかし、かつての平和で優しいシリアを知っている人たちならば、
「この映画は果たして本当だろうか?」
「このような状況になるために、何があったのだろうか?(国外の勢力からの働きかけがあったのでは?)」
という疑問が出てくると思います。

 

「この映画が独り歩きするのは、危険だ」というシリア支援関係者の声は決して少なくありません。
「平和を遠ざけるための活動に加担しかねない」 からです。

 

上映会にいたシリア人の友人に、日本人のお客さんが質問します。
「僕らがシリアのためにできることはありますか?」と。

 

彼の意見は、

 

「2011年以前のシリアを、まず知ってほしい。
 そして、より多面的な情報を手に入れるようにしてほしい。」

 

そうでない限りは、「干渉をしないでいてほしい」というものでした。

 

 

シリアを知るには「誰から話を聞くのか」が大切

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「ジャーナリスト」という肩書きを、敢えて、一切使わない形で、僕は旅をして話を聞きました。
何度、「ジャーナリスト」と名乗ったほうがラクだと思ったか分かりませんが、
「ジャーナリスト」では聞けない言葉があると思ったからです。

 

例えば、あなたが「ジャーナリスト」と語る話題と、友人との話題は同じでしょうか。
僕は、伝えるために加工された想いではなく、友人としての想いを聞きたい、と思ったのです。

 

ただ、今回のヨルダン滞在中に出逢った安田菜津紀ちゃんに関しては、
彼女と知り合ったのは、僕が協力隊としてシリアにいた頃からですが、
ジャーナリストである以上に、シリアの人たちとの友人としての絆をすごく感じるような関係を築いていて、
シリアの人たちから話を聞いていて、こういうジャーナリストが紡ぐ言葉は本物だな、と思いました。
(彼女が来たときに、シリア人の反応がまるで違うんです。本当に嬉しそう!)

 

かつてのシリアの日常を知らない、多くの「ジャーナリスト」が、危険なシリアを伝えています。
それが事実でないとは思いません。同じような意見を僕も聞きました。

 

ですが、事実はもっと複雑です。

「シリアの真実は○○だ」と断言する人の言葉を鵜呑みにしない距離感を持ってほしいと願います。

「考えないこと」こそが、「平和を遠ざける」という可能性を含んでいるからです。

 

講演を依頼される方、また写真展をやりたいという方も、僕まで連絡を頂ければ全国で可能です。

【講演について】

 

「シリアで起こっているのは、内戦じゃない。世界大戦なんだ」とシリアの人たちは口を揃えて言っていました。
僕らの元には、どのような形で外部からの干渉があるのか。どう戦争に加担するのか。

 

シリアで起こっていることは、実は対岸の火事では無いのかもしれません。

 

 

※今回の記事を書くにあたって、映画の配給元United Peopleのアーヤさんに「批判的な内容の感想になるかしれませんが、大丈夫ですか?」と質問させていただいております。そして、「映画への否定的な意見も、ぜんぜん歓迎です!あの映画はあくまで反政府側からの視点のみではあるので。あと、あの映画が撮られたあとに、シリアの状況もかなり変わっているので・・・。映画を通じてシリアへの関心が高まって、もっと他の情報もとってもらえればと思いますし、シリアで起きているようなことは、世界の他の地域でも繰り返されてきたことのような気がして…。自分たちに引きつけて考えていただければ…とも思っています。」と言っていただき、公開をさせていただきました。

 

※また、あえて「ジャーナリストが伝えない」と銘打ちましたが、信念を持って活動されている素晴らしいジャーナリストの方々もたくさんいらっしゃいます。また僕と意見が違うからといって「間違っている」というわけでは当然ありません。そういう方々が見てきた「たったひとつの視点」を含めて、様々な視点で物事を見つめていくという姿勢が大切だと思っています。

 

 

 

 

 

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【近日予定しているイベント(2018/8/27更新)】

 

 


 

 

3 thoughts on “ジャーナリストが伝えない。映画「それでも僕は帰る」からは見えないシリア

  1. 当日参加させて頂いた者です。
    当日の様子、偏りの無い形で纏めて下さり、有難うございます。

    観賞時に多少居眠りをしてしまったからか反アサドに染まり切らず、衣食住・教育にそこそこ満たされていた民衆が、仮に独裁国家の問題、秘密警察を通じた言論統制があったにしても、命を掛け、また国家を棄てる者も出してまで闘うのか? と言う疑問を捨てきらず、外部に作られた内戦だと言う考えを強くしました。

    シリアがどうか知りませんが、豊かな国でなければ暴動や内戦もちょっとしたお金程度で起こせる訳で、アラブの春が突如としてあちこちで起きた事を見ても、身近な情報を盲信せず、いろいろなソースから情報を得て考えていかなければと思いました。

    それにしても、国を出た方・留まっている方各々に、命や生活の安全が確保される様に、先ずは動乱が収まる様祈らずにはいられません。
    その為に、日本人である私が出来る事を見つけていきたいと思います。
    また、情報を頂きたいと思います。

    ご活躍を応援させて頂きます❗️

    1. りささん

      コメント、ありがとうございます。

      本当にそう思います。
      「身近な情報」をいかに盲信しないか。これは、今、先進国で最低レベルの自由度である日本で、生き抜くために必要な姿勢だと、僕は感じています。

      また、「アラブの春」という反政府運動が、同じ仕組みで世界中で起こっていることは決して偶然でも、「呼応」したわけではないように思います。

      以前の記事でも紹介させていただきましたが、
      http://idea-journey.com/arabspringbook-2/

      元ウクライナ大使が「ウクライナ危機」を通して見えた世界の構造が、
      プーチンをシリアのアサド大統領に置き換えた時、
      全く同じことが「アラブの春」で起こっていたことに気付きます。

      僕もまだまだ知らないことだらけですし、
      「自分が間違っているかもしれない」と自問しながら、シリアの人たちのために動き続けていきたいと思います!

      今後とも、よろしくお願いいたします!

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