自分らしく生きるのに、ポジティブは必要がない〜ポジティブシンキングが疲れる理由〜

 

どの瞬間においても、さまざまな選択肢の中から少しでもワクワク度が高いものを自分の能力の限りにやり、かつ結果にまったくこだわらないことです 。
ただし、自分に正直になってください。
本当にワクワクするからやるのであって、自分が見たくないもの、怖れていることを避けるためにワクワクしているふりをしてはいけません 。

 

ダリル・アンカ、安藤美冬『未来を動かす バシャールが新たに語る「最高の人生」にシフトする方向』

 
 





 
 

● 外で笑顔が褒められる僕は、家でとんでもなく疲れていた

 

安藤美冬の講演を、youtubeで見たときに「ポジティブ教信者」に怒っていると言っていたのですが、「ポジティブ教信者」とは的を射た表現だな、と思いました。

 

また、彼女は

「感情が安定していることと、感情を感じないようにしているのには大きな違いがあります。
でも、外側から見たら感情が安定しているように見えるんです」

と説明していましたが、それを間違ってとらえている人たちは多いような気がしました。

 

と言うのも、僕自身が「ポジティブ教信者」で、「感情をコントロールしたと思い込む、感情から逃げていた人間」だったからに他なりません。

 

協力隊から帰国後、ポジティブ教信者になっていた僕は、
外ではいつも笑顔で、前向き。楽しそうに生きている。
その反面、家に帰ると、どっと疲れているけど、なぜだか分からない。
本当に無意識にそうしていました。

 

その疲れをごまかすために、身近な人たちに迷惑をかけたことで、
不自然な自分に気付き、そんな自分を変えていくことで、
今は大好きなパートナーと結婚し、自分らしく生きるに至りました。

 

これからの話が、楽に生きるヒントになれば嬉しいと思い、
今日は「ポジティブ」について話をしていきたいと思います。

 


安藤美冬氏が語る「人生を変える行動力の作り方」とは?

 

 

●「ポジティブになろう」はネガティブ

 

ポジティブになろう!と思う時に無意識にあるその人の「事実」は2つあります。

 

1つは「自分はネガティブだ」、
2つ目は「ネガティブはよくない」です。

A=B、B=Cで当てはめると、「自分はよくない」ということになります。

ポジティブになろう!と強く思えば思うほど、自分を強く否定することになります。

 

そうした自己否定を強める一方で、
「自分はできる」という表面的な思い込みをする訳ですから、
そのメンタルのギャップに疲れてしまいます。

 

人に会う時や、人前に立つ時だけはポジティブである自分を演じながら、
「本当の自分は違う」と心の奥は叫んでいるような感じです。
ブレーキとアクセルを両方ふんでいるようなイメージですね。

 

 

 

 

 

そのチグハグさを埋めるためには、何かを必要とします。
 
それは例えば、
「自分が好きだからではなく、高価で、他の人が価値を認めているから」という理由で選んだブランド物で身を固めたり、
「他の人よりは、自分は上である」ことを他の人に示すために、人と違うことをやったり、人脈を誇って自分がすごいと見せかけたり、
実績がなく、知識として知っている哲学や理論だけを用いて講演家になりたがったり、
と、いった行動によって、埋めようとしがちです。

 

自分で自分を認めていないので、「他者によるモノサシ」があって初めて、自分の価値を感じることができます。

 

セミナーなどで「自分は大丈夫だ!」と、他者に背中を押してもらう価値の栄養補給なども、「効果を発揮」したりします。
 
(ビジネスとしてセミナーをする場合、本質的な改善をしてしまえば、リピーター顧客にならないので、その状態に留めておいて、課金させることもありそうな気がします。もちろん、そうした栄養補給が必要なこともあるので…。バランスですね!)

 

ですが、他者を軸に生きるというのは「しんどい」と、僕は思います。
なぜなら「他者のモノサシ」は案外、あっさりと変わるからです。

 

 

 

 

 

● 人気キャラクターという着ぐるみ

 

ポジティブであるフリをすると、「一緒にいて楽しい」というサークルが出来ます。
 
そのサークルが、あなたに集まる理由は、「フリをして演じているアナタ」に魅力を感じているからです。
いわば、「人気のゆるキャラに人が集まっている状態」と僕は表現しています。
 
つまり、その着ぐるみを脱いだ「本来ある自分」ではなく、「自分の都合のいいように造ったキャラクター」に魅力があり、そこを着ぐるみの目の部分から覗いている感じです。
そうなると着ぐるみ脱ぐタイミングを逸脱してしまったりもします。

 

「このキャラクターを止めてしまったら、周りにいる人たちはいなくなるんじゃないか」

自分の価値を、【他者のモノサシ】に依存しているわけですから、その不安感は大きなものになります。
「誰もわかってくれない」なんていう悲劇のヒーローやヒロインになることもあるかもしれません。それは周りの人を傷つけるトゲになったりもします。

 

 

 

● さらけ出すと楽になる

 

「相手がどう思うか」より先に、「自分がどう思うか」。

 

「自分のことを好きな人が好き」という【他人軸】から、
「相手がどう言おうが、僕は好きやねん」という【自分軸】に変わりました。
(これ、一歩間違えれば、ストーカーなので、注意は必要ですね)

 

「愛される自分」というキャラクターの着ぐるみを脱ぎました。
自分自身のありのままで生きることにして、思ったことは言うようにしました。
情けない自分も出すようにしました。

 

それを境に、周りに変化が起こります。
「嫌われる!!」と思って話したことが、「人間くさい」って言ってもらったり、
自分を演じていた時よりも、多くの素敵な人たちが周りに集まってくれたのです。
(結婚したパートナーも、その変化の真っ最中の時に出会いました)

 

嫌われたって仕方ないし、これが僕だからなぁ、と思うようになって、
「そのままの自分でいること」が日常になり、生きるのがすごく楽になりました。

 

 


 
 

● ワクワクしてる?

 

皆さんは、感情をコントロールするふりして、感情を感じないようにしていませんか?
 
少なくとも、過去の僕はそうでした。
 
しんどいことがあっても、「ポジティブに考えよう!」って喜怒哀楽の喜と楽だけでとらえようとしていました。
そしたら、周りの人の怒と哀という感情がわからなくなっていったんです。
だから、平気で傷つけてしまえるんです。

 

無理にポジティブにならなくたって良い。
しんどいときだってありますよ。人間だもの。

 

大切なのは、自分の気持ちと、きちんと向き合うことかなって思います。
 
「こんなことを言ったら、褒めてもらえるかな」
「こんなことをやったら、評価してもらえるかな」
 
なんて、気にしないで、本当に自分がワクワクすることをやること。
そのワクワクする気持ちに、きちんと向き合うってことが大切です。

 

将来の夢ややりたいことに、そうした他人軸が入っているケースが往々にあるように思いますので、是非、振り返ってみてもらえたらなぁ、って思います。
(「国際協力をしたいんです」「世界中に友達を作りたいんです」って言う人の中に
そういう軸がある人を時々、見ます。諸刃の剣の「承認欲求」みたいなものが)

 

 

どの瞬間においても、さまざまな選択肢の中から少しでもワクワク度が高いものを自分の能力の限りにやり、かつ結果にまったくこだわらないことです。
 
ただし、自分に正直になってください。
本当にワクワクするからやるのであって、自分が見たくないもの、怖れていることを避けるためにワクワクしているふりをしてはいけません。

 

ワクワクしてる?
(キンコン西野風に)

 

 

 

● 嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え

この本を手にした時には、すでにその「勇気」は手にしていたので、
この本を読んで変わった!ってことはないですが、自分の考えていたことが、
やっぱりなぁって思うような感じでした。

 

● 魔法のコンパス 道なき道の歩き方

「炎上」「嫌われ芸人」みたいなレッテルが貼られているキングコング西野ですが、
僕は好きです。自分を貫いているし。
また、彼の行動は、先が見えてやっているってことが本書を読めば分かります。
ドキドキしてる?
 

● ユダヤ人大富豪の教えIII ~人間関係を築く8つのレッスン

ポジティブな人が周りをネガティブにするというマトリックスの見方が面白いです。
本田健さんの本の中で印象的だったのが(どの本か忘れちゃったのですが)、
「ポジティブシンキングではなく、ポジティブビーイングで」という考え方で、
できるようになると思い込むのではなく、できると知っているという平常心の中での肯定感。
奮い立たせるのは、暗に「できない」と思っているから。カイジの鉄骨渡りのシーンにも似たようなのがありましたね。

 

 

 

最後に、冒頭で紹介した本『未来を動かす』から、バッシャールの言葉を引用して終わります。

 

誰かを批判するときには 、多くの場合 、批判している人物の中に怖れがあります。

通常、誰かのなにかを批判しているときは、本人の中にも同じ要素があるのです。
つまり、批判をやめるということは、自分についての怖れを持つ必要がなくなるということです。

 

…上司と部下の例でいいますと 、上司がまったく批判をしていない場合 、このような発言になるでしょう 。
 
「君は、もう少し効率的に、あるいは、ハッピ ーに仕事ができると思う。その手伝いをさせてくれ 」。

 

逆に怖れから叱ったり 、責めたりしている場合は 、こんな発言になるでしょう 。
 
「君は仕事を十分にやっていない ! 」
 
それは 、上司自身が十分に仕事をやれていないことを怖れているのです。
上司の管理能力不足で 、部下の成果が上がらず、それが上司の評判に響いていると思っているのです。
 
つまり、上司自身の仕事ぶりが十分でなく、自分がクビになるかもしれないと怖れているので、部下をサポートする代わりに叱ってしまうのです。
これは怖れにいる状態と、慈悲のある状態の違いです。

 
 
 





 
 

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