すべての人に、未来をつくる力がある。〜シリアから結婚の知らせ〜

すべての人に、未来をつくる力がある。

どんな人も、可能性に満ちている。

大事なことは、未来をつくる力が誰にでもあると信じることだ。

 

ースリランカの社会活動家、マグサイサイ賞受賞者 A•T•アリヤトラネ博士

 

 




 

 

 

●花嫁の写真

 

今週、レバノンに住むシリア人の友人から写真が届きました。
メッセージはなく、1枚の花嫁衣装の写真です。

 

「誰?」と思いながら、
僕があてずっぽうで言った名前は、彼の2番目のお姉ちゃんでした。

 

「ブトゥーレだよ。昨日、結婚式だったんだ」

 

彼の三番目のお姉ちゃん。
僕が最後に会ったのは2010年3月。まだ中学生でした。

 

思わぬ年月の流れに驚きながら、嬉しさと寂しさがそっとよぎりました。

 

ブトゥーレの結婚式の写真ではありません。それはネットでは出せないので、直接お会いした方に。

 

 

「あなたの人生を変える出逢いはなんですか?」

 

そう言われて、あなたは、どんな出逢いを思い出しますか?

 

僕が思い出す出逢いのひとつ。それが、ブトゥーレとの出逢いでした。

 

 

村での保健活動をしていくなかで、
僕の悩みの種だったのがアラビア語と女性の生活を知ることでした。

 

全然話せなくて、現地の人から呆れられることが多かった語学力。
そんな僕のアラビア語に合わせて、わかりやすく解説をしながら鍛えてくれたのが、ブトゥーレでした。

 

また、男女が分けられる文化が多い村の生活で、男である僕が女性社会に入りにくい。
そんな女性の生活についても教えてくれたのもまた、彼女です。

 

一緒に、健康についてのポスターを作ったり、
日本から友達が来た時におもてなしをして、日本人を驚かせたり、
僕の母に「お兄ちゃんを産んでくれてありがとう。」と日本語で手紙を書いたり、
僕のシリア生活の半分くらいは、彼女との思い出のような気がします。

 

 

 

 

 

僕を変えた一言

 

ある日、彼女に夢を尋ねました。すると

 

「私の夢はね、夢を叶える子ども達を育てる学校を作ることなの。

頑張り屋さんが、もっと努力が報われる環境を作りたい。

自由に遊べて学べる場所を作りたい」

って教えてくれました。

「ただ周りの人には話してないの。笑われるから」

と。

 

 

しかし、続けて言います。

「でも、私にはできると思う。

 やりたいって意志がある。

 だからできると思うわ。

 あなたがここに来てくれて、

 色んな見本を見せてくれたから。

 私ならできるよ、応援するよ、って言ってくれたから。 

 あなたがいたから、私は夢を持てるようになったのよ。」

 

僕の存在は、彼女に可能性を、希望を渡せたかもしれません。
誰と出会ったかで人生は変わります。

 

「あなたならできる」と、僕が応援したことで、彼女の可能性が膨らんだのです。

 

「どうせできない」「夢なんて叶わない」という限り、ゼロだったかもしれなかったのに。

 

それなら、僕ができることは、背中を押すことじゃないか。応援することじゃないか。
そう思って、シリアから帰国後、学校での講演を依頼された時に、応援することを大事に話させて頂きました。

 

同時に、「できるよ」と応援する言葉を本物にするために、
僕自身も夢を追いかけて、やりたいことに挑戦し続けていました。

 

 

 彼女の言葉を元に作った動画

 

 

 

● あなたのおかげで

 

2011年から始まったシリアの武力紛争は、第三次世界大戦と表現されるほど複雑なパワーゲームに巻き込まれました。
やがて、僕やブトゥーレが住んでいたシリア北部の村にやってきたのは、ダーイッシュ(いわゆる「イスラム国」)です。

 

ネットで町の名前を画像検索すると、血まみれの処刑場が出てくるような状況でした。

 

 

 

 

「すべての人に可能性がある」ならば、
「やりたいことをやろう」って言うのならば、こんな状況に対して何もしないって選択肢はあるのだろうか?

 

とはいえ、僕自身の生活のこともあるし、色々と悩みましたが、
そこで悩む時点で、言っていることとやっていることがズレてしまう、と動くことを決めました。

 

 

2015年、シリア難民を訪ねて、中東・欧州を周ります。
そして、2016年からPiece of Syriaを立ち上げて、クラウドファンディングでお金を集めて、
「一番足りていないのは、シリア国内の支援で、特に教育支援は未来のために必要だ」という実体験を元に、
活動を始めました。

 

 

プロジェクト達成!ご支援ありがとうございました!

 

 

もちろん、その底にあったのは、ブトゥーレの夢。
「私の夢はね、夢を叶える子ども達を育てる学校を作ること」

 

ブトゥーレの安否がわかりませんでしたが、いつか会えるって信じていました。
その時に「あなたのおかげで夢が持てたよ」って、彼女に胸を張りたいって、思ったのです。
 

 

かつて、僕が言ってもらった言葉を、返したいって。

 

 

 

 

 

● 家族との再会

 

Piece of Syriaの活動を始めてしばらくすると、シリア時代の友人がFacebookで連絡がきました。
当時はFacebookをやっていなかったですし、どうやって探しあてたのかわかりません。

 

ですが、写真も送ってきて、声も聞いて、本人なのは間違いありません。
その友人はブトゥーレの親戚でした。そして、ブトゥーレとその家族の無事を知ることができました。

 

その連絡が来てすぐ、ダーイッシュも町から撃退され、学校も始まり、日常が取り戻っていったと教えてもらいました。
彼を通して、レバノンにブトゥーレの弟が働いていることを知り、レバノンにも行きました。

 

小学生だったやんちゃ坊主が、僕より背が高くなって、声も低くなって変な感じです。

 

建設中のマンションのガレージの奥にある、ビニールシートで区切った空間が彼と友人たち、親戚たちの「家」です。
ベッドとヒーター、テレビ、電気コンロという家具に囲まれた狭い空間の中へ、僕を招いてくれました。
一晩寝ましたが、居心地はよく、シリアの家庭の温かさを思い出しました。

 

 

 

 

奇跡は起きる!きっかけをくれた少女は、今も勉強を続けています

 

 

レバノンに住む弟から送られて来たブトゥーレの花嫁衣装の写真を見ながら感じる、嬉しさと寂しさ。

 

結婚ができてよかったねっていう嬉しさ。
結婚式に行けなかったことへの寂しさ。

 

父親みたいな心情になって、「旦那はどんなやつだ?ちゃんとしてるのか?」って心配な気持ちになったり、
ちょっと複雑です。

 

 

シリアが平和になった時、真っ先に向かいたい、僕の住んだ村。
そこに彼女の家族がいたら嬉しいなって思います。
そこに、彼女の笑顔があれば嬉しいなって思います。

 

そして、その時、「あなたのおかげで夢を持てたよ」って、自分の活動を紹介したいなって思います。
いつか、一緒にできることがあれば嬉しいなって、思います。

 

 

 すべての人に、未来をつくる力がある。
 どんな人も、可能性に満ちている。
 大事なことは、未来をつくる力が誰にでもあると信じることだ。

 

その言葉を誰かに伝える時、それは自分自身へも伝わっていると思うから、
僕もその言葉を伝え続けられるような大人であり続けたいって思います。

 

 

   




 
 

 

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