世界は使われなかった人生であふれている

 

 

 

「世界は使われなかった人生であふれている」。

旅人のバイブル「深夜特急」を書いた沢木耕太郎の著書のタイトルが、ふいに思い出されたのは、トーゴ北部の町Karaの夕焼けを見た時だった。

 

 

 

 

 

 

夕焼けは毎日のように空に現れる。

が、意識しないと気づかない。建物を出ると、いつの間にか夜になっている。電車に乗り込み、高い建物に区切られた空の存在を忘れて、星や月を見ることなく家に着く。そして、次の朝が来る。
ぼくが夕焼けに気付ける人生を、いま歩んでる。が、そうじゃなかった現実も有り得たはずだ。
あの日、イベントに参加しなければ。

あの日、メッセージを送らなければ。

あの日、一緒に出掛けなければ。

あの日、あの話をしなければ。

まるで違う今があったはずだ。

 

日が暮れ、人通りが減った道を歩いて、町外れにある宿へと向かう。
砂を踏む音より虫の音が大きい。鳴き声も、日本の田舎の夏を思い出させる。
車が通らなければ、数え切れない星空が道の真上に広がる。こんなに空を見上げながら歩くのはいつぶりだろう?
気が付けば、地面や看板、携帯電話にばかり目を向けていたような気がする。

 

 

世界は使われなかった人生で溢れている。
なら、ぼくは、

「使いたかった人生」を置き去りにしてないか?

「使いたかった人生」を歩んでいるか?

 

 

どれほど望んでも、他人の人生を歩む日は来ない。

ぼくが歩めるのは、自分の人生だけだ。
たった一回の人生を、「使いたかった人生」にしていこう。

また、日常の中にある、夕焼けや星空に気付けるように。

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です