あの時の僕らが、先が見えない不安より不安だったもの。

 

「安定的な仕事を辞めるって怖くなかったですか?」

僕を含めた三人の答えは、

「続けることの方が怖かった」と口を揃えました。

「未来、自分がどうなるか見えた。

でも、それはなりたい自分じゃなかった」と。

 

 

こんにちは。お久しぶりです、へむりです。

 

僕の友人に、認定NPO法人D×P代表の今井紀明くんがいます。
イラクで人質になった一人で、「自己責任」という言葉が大流行した事件の渦中にいたことで知っている人もいるかもしれません。

 

 

僕がシリアで青年海外協力隊として活動をしている際に、
シリアやヨルダンに訪れていたフォトジャーナリストの安田菜津紀ちゃんとつながったのですが、
京都で行なわれた彼女の写真展で、ギャラリートークのファシリテーターをしていたノリくんを紹介してくれたのが最初の縁です。

 

 

まめに更新をしていたシリア隊員ということで、連絡をしてくれた。京都で初対面。

 

 

人質事件の後、無事に解放されたものの、そのあとの「日本社会」という不特定多数の人たちからのバッシングはすさまじく、人間不信になるほどで、
その時の経験をもとに、通信・定時制高校の高校生に「つながる場」と卒業後の「いきるシゴト」をつくる団体D×Pの活動を今、行なっています。
(僕も少額ながら寄付をさせていただいています)

 

詳しくは

 

 

2010年に出逢った当時、ノリくんは会社員でしたが、自分の家を開けっ放しにして、いろんな人たちが集まって夢を語る場を作っていました。

 

その夢を語る場で知り合った友人と「会社を辞めて世界に飛び出た三人のアラサー」ってイベントを企画もしたのも良い思い出です。

 

一人は小学校の先生から著名な写真家に、
一人は建築家から写真家を経て、アジアの国際協力の現場で活動しています。
僕は商社から青年海外協力隊となり、自営業・UAE駐在員を経て今はシリア支援団体の代表です。

 

 

 

三者三様ではありますが、この質問に関しては答えが一致していました。

 

その質問とは
「安定的な仕事を辞めるって怖くなかったですか?」

 

僕を含めた三人の答えは、「続けることの方が怖かった」

 

「未来、自分がどうなるか見えた。でも、それはなりたい自分じゃなかった。
 そうなることが、先の見えない不安もよりも怖いと思った」

 

 

これが、全て人たちに当てはまる話だとは思っていませんが、
生き方に「正解」があるわけでもありません。

 

自身の中にある自分なりの「答え」を、一人ひとりが探して動くことかな、と。
少なくとも「こうでないと幸せにはならない」という方程式は確実に存在しません。

 

 

今ある環境を飛び出すと、見える世界は変わります。
知らなかった生き方に触れると、自分の可能性に気づきます。

 

ノリくんが作っているものや、僕がイベントを通して伝えたかったものも、
きっとそういうものなんだと思っています。

 

 

なりたい自分にはまだまだ長い道のりですが、
「そこにつながっている感覚」がある道を歩めていることは、幸せだなぁって思います。

 

 

通信・定時制高校の高校生に「つながる場」と卒業後の「いきるシゴト」をつくる団体

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です