「信じてるよ」
この言葉で子どもは育つ。
ぼくは25歳の時、仕事を辞めました。次のあてもなく。
「フィリピンのスモーキーマウンテンに行きたい」ということと、
「20代という時間は、今の仕事に捧げるに値するのか」ということを考えると、
どうしてもここには居続けられない、と、退職願を書きました。
ネットで「辞表の書き方」を調べて、
そしたら辞表じゃなくて退職願って書くんだと知って驚いたり。
書いたものの、上司に渡すタイミングを逃し続けて、
「上司が喫煙しに階段に行ったタイミングで渡そうか…
いや、デスクに帰ってきた時にきまずい」とか逡巡して、
カバンの中でちょっとヨレっとしてしまった退職願。
渡せたのは、ボーナスの査定の時に、「何か言いたいことある?」と聞かれた時でした。
会社には申し訳ないという気持ちもありつつも、
本気で頑張れないまま、なぁなぁで仕事をする社員を抱えて給料を支払わせることの方が
会社に迷惑をかける、という想いもありました。
多少の英語は話せるものの、大したレベルでもなく、
会社員を続けることもできず(若干ウツになりかけていました)、
業務の能力が高いわけでもない。
そんな僕に「次」なんてあるんだろうか。
僕なんかができることがあるんだろうか。
悩みも不安もありました。
会社にも納得していただき、
仕事を辞めることを告げて、数ヶ月後に退職。
退職して数日後にはフィリピンに向かいました。
大学時代からボランティアで関わっていたフィリピン支援のNGOが企画した
活動地へのスタディツアーと現地調査の通訳ボランティアとして1ヶ月半の滞在。
そして、その滞在中に、実家から「青年海外協力隊に合格してたよ、おめでとう」と、
連絡が入りました。そして、翌年からシリアへ。
学生時代に行ったことがあるので、その治安の良さや人のあったかさは知っていましたが、
「中東=危険」というイメージは当時もあって、さぞ不安だったと思います。
シリアから帰ってきた後も、
シェアハウスをやったり、全国で講演活動をやったり、世界を旅したり、
シリア支援のNGOも立ち上げて、と、色々と好きなように生きてきました。

波乱万丈というよりは、安全な橋を渡ってきたというのが実感ではありますが、
自分の心が正しいと思うこと、心が喜ぶことを基準に、
周りから見ると危なげに見えかねない36年間のように思います。
こんな僕に、母は心配しながらも、いつも
「信じてるよ」
と言ってくれていました。
「あなたがやってるんだから大丈夫」と。
それに恥じないために、自分の人生に一生懸命になれたと思います。
心を偽ることなく生きることを、精一杯生きることを選択できたと思います。
「信じる」という言葉には、強い力が宿っていると思います。
「信じてもらえる」というのは、能力と自信を引き出す力があると思います。
とは言え僕の「人を信じすぎる」という性格は、母も妻も心配が尽きないのですが…
「斎藤一人の道は開ける」で「信じてるよ。この言葉で子どもは育つ」という話が出た時に、
ふと、自分自身のことを思い出しながら、この話を書きたくなりました。
思えば、昨年のクラウドファンディングも、
多くの人が僕のことを信じてもらえた結果だと思います。
その「信じる」という気持ちに、真摯に応えていくべく、
これからも、Piece of Syriaの活動をしっかりと続けていきます。
これからも、一緒に、アクションを、歴史を、創っていければ嬉しく思います。